2008年7月23日水曜日

最初の記憶

フットボールの病に囚われてしまった最初の記憶はいつのことだったか。

あれは兄に連れられて実家の裏の空き地に行ったとき、おそらくは5,6歳の頃だったかもしれん。近所の洟垂れどもを集め学校で習ったばっかりのサッカーの真似事を始めた時のことだ。オレはおみそだったが人数あわせでゲームに入れさせられ見よう見まねで走り出した。“手を使っちゃいけないんだ”ということだけを教わったので体の後ろに手を結んでいたら転んでしまった。
“バ~カ。手をわざわざ結ばなくったっていいんだよ”と兄から罵倒されたが、ボールを蹴る行為の楽しさだけが脳裏に焼きついてしまった。それが最初の記憶である。

昭和30年代、世の中は野球の時代だった。彗星のように登場した長嶋茂雄に誰しもが憧れた。洟垂れどもも一度気まぐれにボールを蹴ったがその後は野球以外見向きもしなかった。
オレもその後、しばらくその楽しい遊びを思い出すこともなかった。

その頃のサッカーだって?
語るに落ちるとはこのことだ。

オレが生まれた1955年。前年のスイスW杯予選で日本代表は戦後初めて国際的な大会へ挑戦し韓国に惨敗した。そして翌年、協会も一から出直すことを決意し、技術を磨き最新の戦術を学ぶため当時はアジアの強国だったビルマへ遠征することになった。日本のサッカーはまだそんなレベルだった。代表が留守中の1月22日、スイスの名門グラスホッパーが日本に立ち寄り、日本協会はあわててベテラン中心の選抜チームを召集して試合を組んだ。グラスホッパーは、戦前ベルリン五輪の直後に親善試合を組んでもらったことがある。日本は16点取られて負けたがその縁もあったのだろう、世界ツアーの途中にわざわざ来日してくれたのである。そんな相手の善意に応えた場所は後楽園競輪場だ。冗談じゃない。本当に競輪場のフィールドで国際試合である。周りにはバンクの傾斜があるので蹴りだしたボールは蹴った選手に戻ってきたかも知れん。
グラスホッパーのイレブンはさぞかし驚いたことだろう。試合は1-7。惨憺たる有様だった。

その日、オレは産湯に浸かり泣き喚いた“夢を見させてくれ”と。

その日の映像が今に残っている。

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http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00e398d89b2c0004.html

そのときは日本中がまだこのフットボールの病を知らなかった。
いったい夢を見る日は来るのか?

しかしフットボールの神はそんな日本でもすこしづつ扉をあけようとしていたのだ。

<以下続く>

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